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もしチェンマイ・コーヒーファーム見学ツアーを企画したら。。。 

1泊2日で訪ねたコーヒファーム、
色々な話題があって、全部で9話にもなってしまいました。
ほのぼのとした短い滞在でしたが、そこから感じるものがとても多かったです。
この念願のコーヒファーム視察は、10本の指に入る、素晴らしい人生の体験でした。
リウも、一緒に行った友達も、帰り際、
より多くの人に経験してほしいね、と話していました。
もちろん私も同感です。

そこで!!
来年の12月か1月、このコーヒファームへ行くツアーを企画し、
皆さんの参加を呼びかけることにしました。
お客さんとして、というより、仲間というスタンスで、
一緒にファームに行きましょう!

来年10月頃、詳細をまとめますが、今、仮に考えているプランは、
催行人数:10~20人(あまり多いと小屋に泊まれないので。。)
集合/解散;チェンマイ市内のどこか
日数;この村の滞在は1泊2日、もしかすると市内も1泊で、どこかに見学に行くかも?
日程;コーヒー豆の収穫期の12月か1月、
   NGOの担当者の都合により、平日になります。
催行回数:今のところ、1回。反響によっては、複数考えるかもしれません。
想定ツアー料金:まだ見積もれないので、すっごいアバウトですが、
        お1人10,000バーツ位。
       (車、宿泊費、カレン族の村への寄付金、
                      NGOスタッフへの謝礼など含めて)
        もし村の学校に寄れれば、そこにも何か寄付したり、交流を持つ予定。
参加資格:大学生(高校生?)以上の大人で健康に自信のある人
    この村から町の病院へ行くのは、すごく大変で、夜の場合は、さらに困難です。
    健康上、問題のない方だけの参加でお願いします。
    日本人を中心に考えています。
引率:ランナーカフェ(リウ&うた)、NGO担当者など。

実際どのくらいの人数が興味があるのか、回数は複数考えた方がいいのか、
など知りたいので、興味がある、と思った方、ずーーと先ですが、
来年の10月頃までに、ランナーカフェの「うた」までメールをください。
すぐに頂いた方には年末年始で、すぐにお返事が出せないかもしれませんが、ご了承さい。
メールを頂いた方には、来年10~11月頃、詳細が出ましたら、私からメールを差し上げます。
fairtradecafe@hotmail.com

来年の1月は、すでにスタバのスタッフの視察で、
受け入れ側のスケジュールが空いていませんので、
1年後の催行になります。

以下のブログを一通り読んでいただいて、
色々な状況を理解してくれる方のみの参加でお願いします。








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寒くて眠れない @カレン族の村

チェンマイの山奥は、日中は暖かいのですが、
日が傾いて来ると、急に寒くなってきます。
まだ日があるのに、カレン族のおばさんが焚き木を集め、
火を付けてくれましたが、じきにその理由が分かりました。



南国チャーン島からの訪問者、私とリウは、
この寒さを楽しみに、それなりに防寒着を用意してきて、
時間の経過とともに着増して行きますが、
日が落ちた頃には、それでも寒い!
ちょうど1年前、母と旅行したタイの東北地方のウドンタ二も
寒かったけれど、その比ではありません。
さすが標高1000m以上。。
夜寝る時は、たき火臭い洋服のまま、
貸してもらった毛布2枚重ね、
それらの端をすべて体に巻き付けますが、
寒くて寒くて、寝られません。
(他の3人はしっかり寝てましたが。。)

おいしいコーヒーも村のどぶろくも、
一時は胃を暖かくしてくれましたが、
今はすっかり冷え、それら水分がトイレに行くよう促します。
寒くて毛布から出たくないけれど、仕方なく外へ出ました。

真っ暗な部屋から外出ると辺りは電灯1つありませんが、
満月の明かりはなんと明るい事でしょう。
夜中なのに、空が白んでいるかのように明るく、
たき火の後、傾斜地の木々、山の筋、すべてが見渡せます。
離れのトイレに行くのも余裕です。

カレン族の夫婦の小屋は、私たちの宿泊した小屋よりもさらに
すきまだらけの小屋で、毛布も1枚だけかけるようですが、
翌朝訊くと、普通に眠れる、と言ってました。。。

私たちの寝た小屋。



トイレはこんな感じ



次回でこの話は最終回
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カレン族の今後

カレン族の村一帯は電気が通っていないのですが、
NGOの援助で太陽光と水流を利用した発電装置を持っています。
下の写真は、小屋の脇にある太陽発電のパネル。


電化製品はコーヒーの外皮を剥く機械くらいで、
あとは部屋やトイレの電灯程度で、電気を大事に使っています。

またこの辺りにも携帯電話の電波が飛んでいて、
私たちが持って来たすべての電話が通じます。
聞くところ、インターネットも出来るそうです。

作業所のカレン族の夫婦には3人の娘がいますが、
3人ともチェンマイにいるそうです。
1人は社会人で、病院で働いていて、2人はまだ学生。
特にこの村に戻って来る予定はないそうです。

そんな話を聞いていたら、
今後カレン族がどうなっていくのか、心配になってしまいました。
貧しい生活と本人達はいいますが、
都市生活を体験してきた者にとっては、桃源郷みたいなところ、
しかし数十年経ったら、
私たちのいる俗世と変わらない暮らし振りになってしまうのかなぁ、と。
彼らの大変な生活を助けたいと同時に、
あまり変わらないで欲しい、という都会人のエゴもあります。
やや未発展のチャーン島に住んでいる私でも、
観光客に同じようなことを言われるので、よく気持ちは分かります。

しかし、カレン族にとっても、
このまま残しておきたい環境や心がありつつも、
やっぱり皆さん達が日進月歩に新しいものを取り入れる様に、
子供達を都会に送り、良い教育を受けさせ、
また村を発展させ、快適な環境を作りたいというのは当然のことです。
たまたまこの作業所は、NGOの受け入れ先で、
世界からコーヒー事業関係者が来るので国際化していますが、
その他の地域は、とても貧しく、歳をとり、足が痛くなっても、
病院に行けない、薬を買えないおばあさんも居ます。
町に出るには、かつては徒歩で、
このところはバイクや車を持っている人もいますが、
永遠に終わらないようなガタガタ道を下らなくてはいけません。

カレン族のおじさんは、
村でインターネットができる環境にあるので、
カレン族の若者たちもここに残って/戻って、
村のために仕事をする方向性があるのではないか、と言っていました。

ついさっき、村の青年が唄ってくれたカレン族の民謡、
村を去っても、親兄弟、仲間を忘れないで。。
村に残っている仲間達は、いつでも町に行ってしまった人のことを想っている、
という歌詞を反芻してしまいました。

ゴールデントライアングル、
という言葉を皆さんも聞いた事があると思いますが、
ずーっと昔はこの一帯は一面のケシ畑だったそうです。
安いお金で麻薬関係者に搾取され、大変な生活でした。
70年代以降、カトリックや国連の援助で麻薬撲滅運動が始まり、
世間に出回るドラックの元を絶ち、生産地の悪循環を改善するため、
ケシ栽培に変わる換金作物として、コーヒー栽培が始り、
今日、フェアートレードとして、ある一定の成功を収めています。
今後は増々、村は健全な社会発展していくことでしょう。

NGOのラックさんによると、この一帯にはもうケシ畑はない、
と自信を持って言っていました。
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カレン族と日本人の因縁

書き残していた「カレン族と日本人の因縁」ですが、
あの満月の夜、たき火を囲んで
カレン族の村人達と談笑していた時に、
おじさんから聞いた話がありました。

日本人なんて誰も来たことがないのでは、と思わせる程のこの山奥の村に、
実は敗戦後、多くの日本兵が逃げて来たそうです。
これら日本兵は、ミャンマーから徒歩でこの辺りまで来て、
食べ物は持っていなく、山の植物、ゼンマイなどを食べて、
辛うじて生きていたそう。
すごく深い山で、飢えた状態でここまで徒歩で来る、
というのは想像を絶します。
そんな日本兵をかわいそうに思ったカレン族は、
彼らに食べ物を与えたそうです。
元気になって、チェンマイ市内~バンコクへ向かう人もいましたが、
多くの兵士は、病気などで力尽き、この山周辺で亡くなったそうです。
当時、日本兵たちは皆、背が低く、足が短かったので、
カレン族たちは日本人を「プーカ」(足の短い人)と呼んでいたそうです。

しんみりと話を聞いていた私たち日本人グループでしたが、
一緒に話を聞いていたリウは最後にゲラゲラと笑いました。
タイ人は、日本だったら差別用語になりそうな単語でも、
気にしないで使う人種なので、
リウは、この「プーカ」というカレン語を知ったことを、
鬼の首でも取った様に喜んで、
以来盛んに私や日本人の友人に対して使っています。怒。。

それはさておき、時代背景を調べてみたところ、
第2次世界大戦の終盤、日本軍がミャンマーにも駒を進め、
この地域を統治していたイギリス軍と激しい戦いを繰り広げたそうです。
インパール作戦の一環だと思うのですが、
この戦いに破れた日本軍が徒歩以外の移動手段しかなく、
ミャンマー~メーホンソン~チェンマイ~バンコクと逃げ、
バンコクから船で日本へ帰還とする行路だったようです。

ご興味のある方は、
バンコク週報 カレン難民キャンプを歩くに関係する記事があります。
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新設バスルート スワンナプーム~チャーン島

島にいて、カフェを営んでいても、
バンコクーチャーン島の新しい交通手段が出来た時は、
まず風の噂で聞いて、しかるところに連絡を取って、
正確な情報を手に入れます。
今回もまた同じ方法で12/1にスタートしていた交通手段をお知らせします。

スワンナプームの公共交通センター~チャーン島クロンソン村のルート。
40人乗りの大型バスでエアコン車トイレ付きになります。
シートはファーストクラスコーチとあるので、
それなりのものだと思います。
1日1便 スワンナプーム発7:30
クロンソン発12:30 センターポイント発13:30

クロンソン村とは、島側のフェリー乗り場と一番最初の西側のビーチ、
ホワイトサンドビーチの間にあたります。
チャーン島に来た事のある人は、バーンクワンチャンの
エレファントトレッキング付近といえばわかるでしょうか?
各ビーチへは、停留所に待っているソンテウで移動します。

このバスは、センターポイントというタマチャートよりもやや遠い、
あまり栄えていない港を利用し、フェリーで島へ渡る距離は、
タマチャートよりは20分程長くなります。
それでも料金は破格で、フェリー代も込みで1人308バーツになります。
乗客の乗降は、チャーン島~レームンゴープ~トラート~ジャンタブリー
~スワンナプームと記載されています。

おそらく所要時間は、6-7時間かかるかと思います。
スワンナプームーセンターポイント 350キロ 4.5-5.5時間
センターポイントークロンソン(フェリー~バス移動) 2時間

エカマイ発の大型バスもスワンナプームの公共交通センターで、
乗り降りできるので、このバスがどれだけ使い勝手が良いかは、
まだ未知です。ちなみにスワンナプームの発車時間は、
7時頃/8時15分頃/10時15分頃です。

私は、新設バスをまだ利用した事がないので、
利用された方、ご感想をお待ちしております。

詳しくは、この会社のHP
http://www.swbtours.com/Koh-Chang/?p=1 
上半分がタイ語、下半分が英語で書かれています。

このバスに関しての問い合わせは、直接バス会社にご連絡下さい。
繁忙期は必ず予約してくださいね。(タイ語、英語)
Suvarnabhumi Burapha Co.,Ltd บริษัท สุวรรณภูมิบูรพา จำกัด
スワンナプーム ブーラファー社
089-1133-490/083-7942-122/081-6605-926

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壮大な一杯のコーヒー

カレン族と日本人との因縁はあとで書くとして、
今日は、翌朝コーヒーファームに行ったことを書きます。

朝食を頂いた後、
泊まった作業所から3キロ離れたところに、
コーヒーファームがあり、車で出かけました。
3キロの距離感というと、どんな道でもおおよその時間は検討がつきます。
しかし!作業所からダートの道をさらに山奥に進むと、
地面はボコボコだし、高低差はあるわ、道は曲がりくねっているわ、
途中、田園風景があったり、村人とすれ違ったり、牛がノンビリしていました。
小さな小学校もあって、
子供達も先生も珍しそうに私たちの車を見ています。

3キロの道のりに約1時間かかって、
カレン族の小さな村に到着しました。
村人は作業に出かけているのかとても静かで、
おばあさんが2人のみ家の外で家事をしていました。
その奥にコーヒーファームがあるそう。

作業所付近は、コーヒー事業関係やNGOの外国人を受け入れる体制になっているので、
おじさん、おばさんも人慣れ、写真慣れをしていますが、ここは違いました。
ファームまでの道のりを歩く時、おばあさんの写真を撮ろうと試みましたが、
顔を伏せ、木々の後ろから出てこようとはしません。



50m歩くと村から外れ、一本道を歩いて、
ひょいっと、原生林の中に入って行きました。
ここがコーヒーファームです。
背の高い雑木の間に、
私の背丈よりも少し大きいコーヒーの木が右に左に沢山ありました。
そして赤い小さな実、コーヒーチェリーがなっています。
1つもいで口に入れてみると、果肉はごく僅かですが、ほんのり甘い。

村人もNGOのラックさんもリウもみんなで、
ちまちま、そのチェリーを手で摘んでいます。
大変な作業です。


周りがうっそうとしているので、
とても機械が入れるような場所ではありませんが、
この環境こそがコーヒーにとっては最適な環境。
コーヒーの木は直射日光が苦手で、
ここのように、周りに高い木がある下で育てるのがベストだそうです。
ライチやラムヤイの木がそばにありました。

一杯のコーヒーを飲むために行われている仕事の大変さを
ひしっと感じました。

海抜1000m以上のチェンマイの山奥で
ゆっくり育ったコーヒーチェリーがカレン族に収穫され、
(コーヒーの木を植えて、最初の収穫は3年後!)
作業所で天日干し、外皮を剥かれ、グリーンビーンズになったものが、
ラックさん経由でチャーン島のランナーカフェに届き、
ここに来た皆様のカップになる、想像以上の壮大な一杯のコーヒーでした。
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カレン族の村での夕べ(2)

カレン族の村人による唄、
ゲストである日本人側からの御礼の歌を唄い終わると、
カレン族のおじさんが、とても感激して、
「我々の民謡も、日本の歌も、歌詞の内容は同じ。
母を、そして家族や故郷を恋しく思う、とても良い歌だね。」
そして、
「今、歌ってくれた唄を聴いていて、
見知らぬ日本という国に思いを馳せてしまった。
貧しい生活をしているので、ただ想像するだけの夢だけれど、
もし、もしお金があったなら、日本に行ってみたい、と思ったよ」

また、NGOのラックさんがここにいる皆を代表して、
タイ語で私に話しました。
「遠くからはるばる訪問してもらい、
この満月の空の下で、こうして同じ時間を過ごせた事は
とっても楽しかったです。
私たちが用意した夕飯は決して美味しくはないだろうし、
泊まるところも快適ではないけれど、
でも、これが私たちができる精一杯の持てなしです。
だから、ここでの体験を厭に思わないでもらえれば、幸いです。
そして、またいつかここに来て、
同じ様に過ごせたら、とても嬉しいです。」

これらの言葉を日本語に訳そうと言葉を探していると、
彼らの気持ちがとても純粋で素敵で、
その言葉の力に思わず涙が溢れて来てしまいました。
上手く訳せたかどうかわかりませんが、
友人にも気持ちがしっかり伝わったことでしょう。

「ここの村人たちは、生活こそは貧乏で、
電気もないし、TVも冷蔵庫もないけれど、でも心はとっても豊か。
また来る時だって、援助品を持って来る必要はない、
彼らを思い出して、自分の故郷の様にまた戻って来て、
今のように楽しい時間を過ごせることが一番嬉しい事。」

このあと、カレン族と日本人は昔から深い縁があった話を
カレン族のおじさんから聞きました。
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カレン族の村での夕べ(1)

カレン族夫婦の住んでいる小屋は、木の板で作ったシンプルな家。
板のつなぎ目にところどころ隙間があります。



たき火にあたっていると、
村人が新聞紙で栓したビール瓶を持って来ました。
この地域のどぶろくで、泡盛みたいな味。
食前酒代わりにいただいいましたが、
夕食ができたとのことで、彼らの小屋へ移動。

満月の晩で外が明るく、部屋に入ると真っ暗に感じます。
目が慣れて来ると、弱い蛍光灯に照らされて、
床に料理が並んでいました。
卵料理、川魚のスープ、バラーみたいなふりかけ?、たっぷりのご飯。
カレン族の慣習では、まずお客さんを食べさせ、
その後、主が食べるということになっているそう。
とても質素な食事ですが、彼らの気持ちがとても籠ってます。



なぜなら、今回同行した友人であり、
NGOのコーヒー事業担当者であるラックさんが、
ここに来る数日前にリウに電話をして来ました。
「ホームステイをする家で夕食と朝食を用意するけれど、
今回参加する人の中で、食べられないモノがある人はいる?」っと。

食事を終えたおじさんは、村のミュージシャンを呼んで来ると、
独りバイクで出かけました。
再びみんなでたき火を囲み、美味しく煎れてくれた食後のコーヒーと、
どぶろくをちびちびと、交互に飲みつつ、
ミュージシャンの到着を待っていました。
空気はどんどん寒くなって、私の重ね着は長袖3枚。

さぁ、どれくらい時間が経ったのでしょう。
3キロ先の家まで迎えに行ったと聞いたのですが、
カレン族のおばさんの水風呂も終わって、
頭にタオルターバンを撒いているし、
村の若い衆が、落ち葉の上をカサカサと歩く
山ネズミの罠も仕掛け終わりましたが、おじさんは戻ってきません。

静かな山の中に、近づいて来るエンジン音が聞こえてきました。
とうとうやってきました!
「仕事が終わるのが遅くなって。。待たせて、ごめんなさい」
民族楽器を持ったひょろっとした背格好の青年が暗闇の中から現れました。

タイ語とは全く違うカレン族の言葉で、彼らの民謡を唄います。
どこか懐かしい気持ちにさせる楽器の音色で、
唄の内容は、家族や恋をした女性へ、
そして故郷の村を離れて行く人達への歌です。



カレン族の言葉を流暢に話せるラックさんが、
一曲ごとにタイ語で歌詞を説明してくれて、
それを私が、日本人の友人に訳しました。
どんな場所に住んでいても、
想いは「世界共通」だね!って。

10曲程唄ってくれた後、
我々日本人グループにも何か一曲唄って欲しいと
リクエストが入りました。わぁぁーーー。
何も考えていなかったので、大慌てて相談。
万人の知っていそうな「上を向いて歩こう」+αを何とか披露。

そしてこの後、異文化交流はクライマックスへ。
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至福のコーヒーブレイク

辺りが薄暗くなってくると、寒くなってきました。
天日干しをしているコーヒー豆に、
露がかからないよう、ビニールをかぶせます。



いつのまにか、たき火が用意され、
私たち一行もその周りで談笑。
すると、カレン族のおじさんがスタバの真新しいマグと
シルバーのフレンチプレスのコーヒードリップを持って来て、
コーヒーを勧めてくれました。


天日干し作業が終わったばかりの豆を今朝焙煎したもの。
生まれて初めて、生産地で飲むコーヒー!
マグに注いだだけで薫るコーヒー、
下界とは違う、とても感動的な一杯でした。



満月の夜。
この後、食事をもらい、
コーヒーが、この村で作られた「どぶろく」に変わり、
たき火を囲んで、カレン族の唄を聴く夕べへと続くのでした。

話は次回へ、まだまだ続きます。

《おまけ》
肖像権のことをうるさく言うので、写真を載せてなかったら、
寂しがっているので、ここでむりやり公開します。

作業の説明を受けるリウ。
カレン族のおじさんは、タイ語が普通に話せます。



その辺にある農機具で遊ぶリウ。



P.S:うちのカフェまたはこの付近でリウを見かけたら、
リウの名前を呼ぶと、とても喜びます。みなさま、ゴマスリくださいませ。
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カレン族の村に到着

カレン族の村、ドイ・ソンポイは、
チェンマイ空港から約80キロ離れた山奥。

空港から国道をひた走り、
出くわした横道をひょいっと右に曲がると、
あっという間に農村風景になりました。
刈ったばかりの稲田に、ところどころに牛が放されていて、
刈り残った茎を食べています。喉かな良い風景。

我々の車は、さらに奥へ奥へ進みます。
だんだんと道は曲がりくねり、山道になってきました。
目指す村へ行くには、国立公園の警備されているゲートを抜けます。
警備員に軽く挨拶をして、車はどんどん、どんどん登って行きます。
舗装されていた道はいつのまにかダートに変わり、
道のあちこちに岩が出ていたり、土が削れていて、
車が右に左に大きく傾きます。

出口のない迷路に迷い込んだ感覚になった頃、
急に視界が開けて、ポインセチアやヤナギバヒマワリの咲く、
美しく、どこか懐かしい里の風景が広がりました。
この先の小道を入ると、
コーヒー豆の加工をする作業所がありました。

到着した頃はすでにやや日が傾いて、
ここを管理するカレン族の夫婦が、
その日収穫したコーヒーの実の外皮を剥く作業をしていました。
生まれて初めて、この目で見るコーヒーの実。
とても鮮やかで、かわいらしい。



この村には電気が通ってないので、
家の敷地内に設置した水力発電を使い、
外皮を剥く機械に実を入れます。
右の出口は剥けた豆、左はもう一度、機械に通す豆が出てきます。



その剥いた豆を1週間~10日間、天日干しをして乾燥させると、
外皮が割れ、中から焙煎すればコーヒーになる、
グリーンビーンスが現れてきます。



こんなに心地良い環境の中で作ったコーヒーが
美味しくないはずはありませんね!

この作業所では収穫の時期、
世界各国のコーヒー事業関係者が訪れます。
スターバックス、イーオングループ、そして大学から派遣された学生達なども
泊まりがけで訪れるそうです。
つい先日もスタバの欧米人スタッフ24人が視察に来たそうです。

心は羨ましい程に豊かなカレン族の夫婦ですが、
家は掘建て小屋、家財道具はなく物質的には貧しいので、
(TVも冷蔵庫もありませんが、たぶん彼らは欲しいと思わないのでしょう。)
スタバは彼らにフレンチプレスのコーヒードリッパーやカップを寄付しました。
だから、毎日コーヒーを飲む時、使っています。
このカップが、カレン族の色彩鮮やかな民族服、美しい花の咲く里に
とてもマッチしてました。


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