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カレン族と日本人の因縁

書き残していた「カレン族と日本人の因縁」ですが、
あの満月の夜、たき火を囲んで
カレン族の村人達と談笑していた時に、
おじさんから聞いた話がありました。

日本人なんて誰も来たことがないのでは、と思わせる程のこの山奥の村に、
実は敗戦後、多くの日本兵が逃げて来たそうです。
これら日本兵は、ミャンマーから徒歩でこの辺りまで来て、
食べ物は持っていなく、山の植物、ゼンマイなどを食べて、
辛うじて生きていたそう。
すごく深い山で、飢えた状態でここまで徒歩で来る、
というのは想像を絶します。
そんな日本兵をかわいそうに思ったカレン族は、
彼らに食べ物を与えたそうです。
元気になって、チェンマイ市内~バンコクへ向かう人もいましたが、
多くの兵士は、病気などで力尽き、この山周辺で亡くなったそうです。
当時、日本兵たちは皆、背が低く、足が短かったので、
カレン族たちは日本人を「プーカ」(足の短い人)と呼んでいたそうです。

しんみりと話を聞いていた私たち日本人グループでしたが、
一緒に話を聞いていたリウは最後にゲラゲラと笑いました。
タイ人は、日本だったら差別用語になりそうな単語でも、
気にしないで使う人種なので、
リウは、この「プーカ」というカレン語を知ったことを、
鬼の首でも取った様に喜んで、
以来盛んに私や日本人の友人に対して使っています。怒。。

それはさておき、時代背景を調べてみたところ、
第2次世界大戦の終盤、日本軍がミャンマーにも駒を進め、
この地域を統治していたイギリス軍と激しい戦いを繰り広げたそうです。
インパール作戦の一環だと思うのですが、
この戦いに破れた日本軍が徒歩以外の移動手段しかなく、
ミャンマー~メーホンソン~チェンマイ~バンコクと逃げ、
バンコクから船で日本へ帰還とする行路だったようです。

ご興味のある方は、
バンコク週報 カレン難民キャンプを歩くに関係する記事があります。
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